公私混同とはこのことか。

これを読んでいて、中田をHGと間違えたおばちゃんを思い出した。

勉強になります。自分もやってしまいがち。

 例えばタレントがロケで街に出ると、まるで知り合いのように話しかけてくるオバチャンが必ずと言っていいほど存在する。これなども、普段テレビで見ている虚像が目の前で実体化したときに、自分の方がメディアチェンジができていない例であろう。

 普段テレビを見ているときは、マスメディア上の「公」に対して、視聴者は「私」として接している。「公」の存在が目の前にあるときは、自分もまた社会人として、「公」の状態で接するのが通常だ。それをいきなりお茶の間で寝転がりながら尻掻いてるような態度でなれなれしくされては、「あの人だれ? キモチワルーイ」と思われても仕方がない。

 マスメディアのコンテンツが魅力的になり、影響力が増大するほど、虚像と実像、公と私を使い分けることが、難しくなる。

(中略)

 だがインターネットでは、相手の情報を捕捉できる限り、誰にでもいきなりダイレクトに意見を投げることができる。その利便性がプラスに機能しているうちは有効なツールなのだが、「公」に対して「私」のままで投げつけたり、実像に対して虚像で投げつけたりすると、マイナスとなる。

 直にアクセスできる手段があるからといって、それを実際にやってしまうのと、オフィシャルな連絡手段を介してアポイントを取って接近していくのとでは、その行動の社会性は大きく違うのである。